東京の地名や駅名に残る「赤坂見附」「四谷見附」「虎ノ門」。これらはみな、江戸城の門(見附)の名前です。このページでは、江戸城の内濠と外濠にあった36の門を一覧にまとめ、場所・いまの姿・明治の古写真からAIで復元した江戸時代の姿を、地図と動画で紹介します。
江戸城三十六見附を3行で
- 見附とは:見張りの番兵を置いた城門のこと。江戸城には「三十六見附」と呼ばれる多くの門があった。
- どこにあった?:皇居を囲む内濠に18、外側を「の」の字に巡る外濠に18(このサイトでの数え方)。
- いまは?:門が残るのは10、石垣が残るのは14、土塁が残るのは1、跡や碑だけになったのが11。
動画で見る外濠の18門(総集編・27分)
動画で見る内濠の18門(総集編・27分)
※1門ずつの動画(各1分半)は、下の一覧の「動画」から見られます。AIによる復元映像は、古写真や切絵図をもとにした想像図です。
江戸城三十六見附とは
「見附」は、城の外側に置かれた見張りの門のことです。江戸城では、門の手前に番所を置き、番兵が出入りする人を「見付ける」ことからこう呼ばれました。江戸城には多くの見附があり、まとめて「三十六見附」と呼ばれますが、実際の数や数え方には諸説あります。このサイトでは、皇居を囲む内濠の18門と、江戸の町を囲む外濠の18門、あわせて36の門をめぐっています。
多くの見附は「枡形門(ますがたもん)」というつくりでした。濠に架かる橋を渡り、外側の小さな「高麗門」をくぐると、四方を石垣で囲まれた広場(枡形)に出ます。そこで直角に曲がって、大きな「渡櫓門」から城の内側へ抜けます。まっすぐ進めないようにして、敵の勢いを止める工夫です。
寛永6年(1629)と寛永13年(1636)の天下普請で、全国の大名がそれぞれの門を受け持って築きました。外濠の神田橋門・常盤橋門・四谷見附などは、将軍の御成道や五街道の出入口にあたる「江戸五口」として特に重んじられました。明治に入ると、多くの門が撤去されました。
三十六見附の地図
外濠の18門(「の」の字に巡る)
外濠は、日本橋川の上流から「の」の字を描くように江戸の町を巡り、隅田川へつながる約15kmの濠です。雉子橋門から浅草見附まで、18の門が並んでいました。
内濠の18門(皇居のまわり)
内濠は、いまの皇居をぐるりと囲む濠です。大手門から本丸へ向かう下乗門・中之門・中雀門、濠ぞいの和田倉門・桜田門・田安門など、18の門がありました。
外濠の18門 一覧
外濠の門は、明治以降の都市開発や関東大震災、戦後のがれき処理による埋め立てで、多くが姿を消しました。それでも常盤橋門・赤坂見附・牛込見附などには立派な石垣が残っています。
| No | 門(記事へ) | いま残るもの | 最寄り駅 | 動画 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 石垣が残る ビルの北側に石垣の一部 |
竹橋 | 動画 | |
| 2 | 石垣が残る 首都高の下に櫓台の石垣 |
竹橋・神保町 | 動画 | |
| 3 | 石垣が残る 首都高の下に石垣の一部 |
大手町 | 動画 | |
| 4 | 石垣が残る 枡形の石垣がよく残る(国史跡) |
三越前・東京 | 動画 | |
| 5 | 跡・碑のみ 交差点名と案内板 |
東京(八重洲北口) | 動画 | |
| 6 | 跡・碑のみ 交差点名と案内板 |
東京・有楽町 | 動画 | |
| 7 | 跡・碑のみ 数寄屋橋公園の碑 |
銀座・有楽町 | 動画 | |
| 8 | 跡・碑のみ JR高架下の案内板 |
有楽町・日比谷 | 動画 | |
| 9 | 跡・碑のみ 名は内幸町・幸橋架道橋に |
内幸町・新橋 | 動画 | |
| 10 | 跡・碑のみ 虎ノ門記念碑と外濠の石垣 |
虎ノ門 | 動画 | |
| 11 | 石垣が残る 弁慶濠に高い石垣(国史跡) |
赤坂見附 | 動画 | |
| 12 | 土塁が残る くい違いの土塁と坂 |
四ツ谷・赤坂見附 | 動画 | |
| 13 | 石垣が残る 石垣の一部と土塁、駅構内に枡形石垣 |
四ツ谷 | 動画 | |
| 14 | 石垣が残る 門の石垣の一部と橋の石垣 |
市ケ谷 | 動画 | |
| 15 | 石垣が残る 駅前に一対の石垣(国史跡) |
飯田橋 | 動画 | |
| 16 | 跡・碑のみ 三崎橋のたもとに案内板 |
水道橋・飯田橋 | 動画 | |
| 17 | 跡・碑のみ 万世橋の案内パネル |
秋葉原・神田 | 動画 | |
| 18 | 跡・碑のみ 浅草橋公園の碑 |
浅草橋 | 動画 |
外濠の門を順番に歩いてめぐる特集は「江戸城の外濠をめぐる」にまとめています。
内濠の18門 一覧
内濠の門は、皇居や皇居東御苑・北の丸公園の中にあるため、外濠よりもよく残っています。桜田門・田安門・清水門は江戸時代の門がそのまま残る国の重要文化財です。
| No | 門(記事へ) | いま残るもの | 最寄り駅 | 動画 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 門が残る 高麗門は江戸時代のまま、渡櫓門は再建 |
大手町 | 動画 | |
| 2 | 石垣が残る 石垣と同心番所(皇居東御苑) |
大手町 | 動画 | |
| 3 | 石垣が残る 巨石を積んだ石垣(皇居東御苑) |
大手町 | 動画 | |
| 4 | 石垣が残る 焼けた跡の残る石垣(皇居東御苑) |
大手町 | 動画 | |
| 5 | 石垣が残る 石垣と和田倉橋 |
大手町・二重橋前 | 動画 | |
| 6 | 跡・碑のみ 皇居外苑へ入る広い道 |
二重橋前・日比谷 | 動画 | |
| 7 | 石垣が残る 日比谷公園に石垣の一部 |
日比谷 | 動画 | |
| 8 | 門が残る 外桜田門が残る(重要文化財) |
桜田門 | 動画 | |
| 9 | 門が残る 門が建つ(皇居西側の出入口) |
半蔵門 | 動画 | |
| 10 | 門が残る 1636年の門が残る(重要文化財) |
九段下 | 動画 | |
| 11 | 門が残る 1658年の門が残る(重要文化財) |
九段下・竹橋 | 動画 | |
| 12 | 石垣が残る 石垣の一部 |
竹橋 | 動画 | |
| 13 | 門が残る 門が残る(皇居東御苑の入口) |
竹橋 | 動画 | |
| 14 | 門が残る 門と高い石垣(皇居東御苑の入口) |
竹橋 | 動画 | |
| 15 | 門が残る 門が残る(宮内庁の出入口) |
二重橋前 | 動画 | |
| 16 | 門が残る 皇居正門として残る |
二重橋前 | 動画 | |
| 17 | 跡・碑のみ 門は無く、二重橋(正門鉄橋)が架かる |
二重橋前 | 動画 | |
| 18 | 門が残る 門が残る(皇居一般参観の入口) |
二重橋前・東京 | 動画 |
いまも見られる門と遺構
江戸時代の門が残る
大手門・桜田門・半蔵門・田安門・清水門・平川門・北桔橋門・坂下門・西の丸大手門・桔梗門。とくに桜田門・田安門・清水門は、枡形のつくりまでよく残っています。大手門は手前の高麗門が江戸時代のもので、奥の渡櫓門は戦後に再建されました。
石垣・土塁が残る
雉子橋門・一ツ橋門・神田橋門・常盤橋門・赤坂見附・四谷見附・市谷見附・牛込見附・下乗門・中之門・中雀門・和田倉門・日比谷門・竹橋門、喰違見附。外濠では常盤橋門(国史跡)、赤坂見附、牛込見附の石垣が見ごたえがあります。内濠では中之門の巨大な石垣が圧巻です。
跡・碑だけが残る
呉服橋門・鍛冶橋門・数寄屋橋門・山下門・幸橋門・虎ノ門・小石川見附・筋違見附・浅草見附・馬場先門・西の丸玄関門。濠が埋め立てられた場所が多く、交差点名や駅名、案内板にその名前が残っています。
駅名・地名に残る見附
江戸城の門の名前は、いまも東京の駅名や地名に生きています。
- 赤坂見附・四ツ谷・市ケ谷・飯田橋(牛込見附):外濠の西側に並んだ門。駅の近くに石垣が残る
- 虎ノ門:外濠の門の名前がそのまま地名と駅名に
- 内幸町:「幸橋(幸橋門)の内側」という意味から
- 数寄屋橋・浅草橋:門の前に架かっていた橋の名前
- 桜田門・半蔵門:内濠の門の名前がそのまま駅名に
三十六見附を歩くなら
- 皇居一周コース(内濠・約5km):大手門 → 皇居東御苑(下乗門・中之門・中雀門・平川門・北桔橋門)→ 竹橋 → 清水門・田安門(北の丸公園)→ 半蔵門 → 桜田門 → 二重橋(西の丸大手門)→ 坂下門・桔梗門 → 和田倉門
- 外濠西側コース(約4km):赤坂見附 → 喰違見附 → 四谷見附 → 市谷見附 → 牛込見附(飯田橋)。いまも水をたたえた外濠と石垣が続く区間です
皇居東御苑・北の丸公園の開園日や時間は、宮内庁・環境省の案内で確かめてからお出かけください。
よくある質問
三十六見附はいくつ残っている?
このサイトでめぐる36の門のうち、門の建物が残るのは10、石垣や土塁が残るのは15、跡や碑だけになったのが11です。門が残るのは、ほとんどが内濠の門です。
「見附」と「御門」の違いは?
どちらも江戸城の門を指します。「見附」は見張りの番所を置いた門という意味で、とくに外側の門をこう呼ぶことが多く、「御門」は門そのものの呼び名です。同じ門が「四谷見附」「四谷御門」の両方で呼ばれます。
いちばん見ごたえのある門は?
江戸時代の枡形がそのまま残る桜田門・田安門・清水門がおすすめです。外濠なら、石垣がよく残る常盤橋門と、弁慶濠に高い石垣がそびえる赤坂見附が見ごたえがあります。
あわせてどうぞ:江戸城の外濠をめぐる/江戸城内濠と外濠の一覧