和田倉門は元和6年(1620)に築造されました。江戸時代は「蔵の御門」と呼ばれており、武士だけが通れました。現在は門の石垣のみ残存しています。
明治天皇の初めてのご東幸の際には和田倉門を通って江戸城に入られました。そばの和田倉濠は江戸の頃は道三濠とつながっており、江戸城物資運搬の重要な濠でした。
和田倉門は和田倉濠に接しています。濠にかかる橋を渡り、和田倉門をくぐると「和田倉噴水公園」につながっている。和田倉噴水公園は水辺豊かな気持ちがいい公園です。
和田倉門の位置
江戸城内濠(内郭)と外濠(外郭)の全体図
江戸城内濠(内郭)と外濠(外郭)の全体説明や門の一覧・濠の一覧はこちらで説明しています。
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江戸城内濠と外濠の一覧
江戸城内濠と外濠は明治政府による都市化・関東大震災・太平洋戦争の空襲・戦災の瓦礫処理という様々な災難に見舞われて多くの門や濠を失いました。 江戸の街づくりは驚くほどの時間をかけて築いたものでした。東京 ...
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内濠案内図
和田倉門の江戸期の「地図」と「写真」
和田倉門江戸期の地図。道三濠が描かれている。
和田倉門江戸期・現代の地図
江戸期の和田倉門の写真(江戸見附写真帖)
和田倉門の地形
和田倉門の地形
和田倉門の地形
和田倉門の3D衛星画像
中心の赤ピンアイコンの所が和田倉門跡
和田倉門付近の3D画像
和田倉門付近の3D画像
和田倉門の見どころ
和田倉門の地図
和田倉門跡の渡櫓石垣と和田倉橋
和田倉門跡の案内板
渡櫓石垣
きれいに枡形の形が残っている。
高麗門石垣
和田倉濠
元宮城和田倉門守衛所
歴史ある門跡と高級ホテルパレスホテルとのコントラスト
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《江戸城内濠》和田倉濠
和田倉濠は和田倉門の前に広がる江戸城の内濠です。江戸の頃は外濠に繋がる濠として「道三濠」が接続していました。「道三濠」は江戸城に塩を届ける濠として重要でした。 和田倉濠の位置 江戸城内濠(内郭)と外濠 ...
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和田倉噴水公園の記事はこちら
和田倉噴水公園
【和田倉噴水公園】 目次 和田倉噴水公園の概要と歴史 和田倉噴水公園の全体図(鳥瞰図) 和田倉噴水公園の江戸時代の地図 和田倉噴水公園の地形 和田倉噴水公園の見どころ 和田倉噴水公園の周辺情報 和田倉 ...
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内濠・外濠の門と濠の一覧はこちら
江戸城内濠と外濠の一覧
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江戸城の外濠を「の」の字に沿って巡ってみませんか。全38回の特集記事 江戸城の外濠をめぐる 江戸城外濠は幕府が諸藩の大名に築城に伴う工事をさせる「天下普請」によって築かれました。江戸の防御のために惣構えを築いたのです。 外濠は円環ではなくひらがなの「の」の字 ... 続きを見る江戸城の外濠をめぐる