「外濠をめぐる」は江戸城外濠の15kmを「の」の字に沿って「日本橋川」の上流部から隅田川までを巡るご案内サイトです。全38箇所あります。
下記記事が「外濠をめぐる」のトップページで外濠の全38箇所の一覧と外濠の概要についてご説明しています。
外濠の38箇所一覧はこちら 江戸城の外濠をめぐる 江戸城外濠は幕府が諸藩の大名に築城に伴う工事をさせる「天下普請」によって築かれました。江戸の防御のために惣構えを築いたのです。 外濠は円環ではなくひらがなの「の」の字 ... 続きを見る江戸城の外濠をめぐる
第24回は外濠の門である「喰違見附」を巡ります。
赤い太線に沿った部分が外濠になります。「日本橋川」の上流部から「の」の字を描くように隅田川に繋がっているイメージです。
外濠の起点を便宜上「日本橋川」の上流部とさせて頂きました。
外濠の全体図
喰違見附は赤ピン13の地点です。
江戸城内濠(内郭)と外濠(外郭)の全体説明や門の一覧・濠の一覧はこちらで説明しています。
江戸城内濠と外濠の全体像のご案内はこちら。
江戸城内濠と外濠の一覧
江戸城内濠と外濠は明治政府による都市化・関東大震災・太平洋戦争の空襲・戦災の瓦礫処理という様々な災難に見舞われて多くの門や濠を失いました。 江戸の街づくりは驚くほどの時間をかけて築いたものでした。東京 ...
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喰違見附の概要
喰違見附は門が築かれていません。見附の多くは枡形の城門が築かれていましたが、この喰違見附は周囲が高くなっている地形を生かして土塁を築く形となっており城門は存在しませんでした。
喰違はジグザグまたはクランクとも言い換えられます。そのクランクを利用して土塁を作ることによって敵の潜入を防いだのです。枡形の原型とも言えます。
外堀の中でも標高が高く、江戸城防衛の要として、江戸時代初期に築かれました。
この喰違見附坂で、明治7年には岩倉具視が士族に襲撃されるという暗殺未遂事件が起こっています。そしてその4年後には大久保利通が、このクランクの先の紀尾井坂で暗殺されました。近くの清水谷公園には哀悼碑があります。
江戸を終わらした二人でしたね。
喰違見附の位置
喰違見附の江戸期の「地図」と「写真」
クランクがみてとれる。
現在もそのまま残っている。
江戸期の喰違見附の写真(江戸見附写真帖)。高麗門と渡櫓がきちんと写っていますね。残存している石垣は高麗門左側、櫓台の石垣だと思われます。
喰違見附の地形
江戸城に向けての重要な門ですね。
喰違見附の3D衛星画像・喰違見附が現代にあったら
中心の赤ピンアイコンの所が喰違見附跡
喰違見附跡付近の3D画像
喰違見附の見どころ
喰違見附の見どころマップ
星ピン:喰違見附跡
赤ピン1:近江彦根藩井伊家屋敷跡
土塁感が残っている。
クランク
案内板
向かって右手が弁慶濠
土塁に菜の花
向かって左手に真田濠
井伊家屋敷跡の碑
井伊家屋敷跡の碑のそばで咲くさくら達
喰違見附は門がないですが、クランクなどの存在感はありますね。
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真田濠(喰違見附〜四谷見附)《外濠をめぐる:第25回》
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