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喰違見附《外濠をめぐる:第24回》

喰違見附
【喰違見附】

「外濠をめぐる」は江戸城外濠の15kmを「の」の字に沿って「日本橋川」の上流部から隅田川までを巡るご案内サイトです。全38箇所あります。

下記記事が「外濠をめぐる」のトップページで外濠の全38箇所の一覧と外濠の概要についてご説明しています。

第24回は外濠の門である「喰違見附」を巡ります。

外濠の範囲

赤い太線に沿った部分が外濠になります。「日本橋川」の上流部から「の」の字を描くように隅田川に繋がっているイメージです。

外濠の起点を便宜上「日本橋川」の上流部とさせて頂きました。

喰違見附跡はどこ?(3行でわかる喰違見附)

  • 場所:千代田区紀尾井町、上智大学のグラウンドとホテルニューオータニのあいだ。
  • いま:城門はもともと無く、土塁をくい違いに築いた見附。その地形がいまも残る。
  • 歴史:江戸時代初期に築かれた。まっすぐ通れないクランク状の道で敵の侵入を防いだ、枡形の原型ともいえる見附。

動画で見る喰違見附(1分36秒):いまの地図と江戸切絵図 → 上空・地上から見た門跡 → 江戸時代の姿 → AIでよみがえる喰違見附 → もし今もあったら

▶ 外濠18門を一気に見る総集編(27分)はこちら。※AIによる復元映像は、古写真や切絵図をもとにした想像図です。

AIで復元した江戸時代の喰違見附(喰違見附)
江戸時代の喰違見附(切絵図をもとにAIで復元した想像図)

▶ 江戸城の36の門をまとめて見る:江戸城三十六見附 一覧(場所・いまの姿・AI復元)

外濠の全体図

江戸城外濠

喰違見附は赤ピン13の地点です。

江戸城内濠(内郭)と外濠(外郭)の全体説明や門の一覧・濠の一覧はこちらで説明しています。

江戸城内濠と外濠の全体像のご案内はこちら。

江戸城内濠と外濠の一覧の写真
江戸城内濠と外濠の一覧

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喰違見附の概要

喰違見附は門が築かれていません。見附の多くは枡形の城門が築かれていましたが、この喰違見附は周囲が高くなっている地形を生かして土塁を築く形となっており城門は存在しませんでした。

喰違はジグザグまたはクランクとも言い換えられます。そのクランクを利用して土塁を作ることによって敵の潜入を防いだのです。枡形の原型とも言えます。

外堀の中でも標高が高く、江戸城防衛の要として、江戸時代初期に築かれました。

この喰違見附坂で、明治7年には岩倉具視が士族に襲撃されるという暗殺未遂事件が起こっています。そしてその4年後には大久保利通が、このクランクの先の紀尾井坂で暗殺されました。近くの清水谷公園には哀悼碑があります。

江戸を終わらした二人でしたね。

喰違見附の位置

喰違見附 位置

喰違見附の江戸期の「地図」と「写真」

喰違見附の江戸時代の地図(大江戸今昔めぐり)
参照地図データ:「大江戸今昔めぐり」より】
 

クランクがみてとれる。

喰違見附の場所を江戸時代と現代の地図で比べた図
参照地図データ:「大江戸今昔めぐり」より】
 

現在もそのまま残っている。

明治初期の喰違見附の古写真(江戸見附写真帖)
出典:国立国会図書館・江戸見附写真帖】

江戸期の喰違見附の写真(江戸見附写真帖)。高麗門と渡櫓がきちんと写っていますね。残存している石垣は高麗門左側、櫓台の石垣だと思われます。

喰違見附の場所を現代の地図と江戸切絵図「外桜田永田町絵図」で比べた図
左:現在の地図 右:江戸切絵図「外桜田永田町絵図」(出典:国立国会図書館デジタルコレクション) 地図データ ©2026 Google

現代の地図と江戸切絵図を並べると、喰違見附のあった場所がよくわかります。

喰違見附の地形

喰違見附付近の地形図(台地と低地)

江戸城に向けての重要な門ですね。

喰違見附の3D衛星画像・喰違見附が現代にあったら

喰違見附跡の位置を赤いピンで示した3D衛星画像

中心の赤ピンアイコンの所が喰違見附跡

喰違見附跡付近の3D衛星画像

喰違見附跡付近の3D画像

喰違見附が今もあったらの想像図。白黒にした現代の街に、色付きの江戸城の門を重ねた3D空撮
もし喰違見附が今もあったら(想像図)。Google Maps 3D をもとに加工 地図データ ©2026 Google

動画では、現代の街を白黒に沈めて、色付きの喰違見附を浮かび上がらせています。

喰違見附の見どころ

喰違見附の見どころマップ

星ピン:喰違見附跡
赤ピン1:近江彦根藩井伊家屋敷跡

喰違見附の土塁が残る坂道(千代田区紀尾井町)

土塁感が残っている。

喰違見附のクランク状の道

クランク

喰違木戸跡の案内板(千代田区)

案内板

喰違見附から見る弁慶濠と首都高速

向かって右手が弁慶濠

喰違見附から見下ろす弁慶濠

弁慶濠と首都高速。

喰違見附の土塁に咲く菜の花

土塁に菜の花

喰違見附の土塁の斜面と菜の花

土塁の斜面と菜の花。

喰違見附の土塁に咲く菜の花(近景)

土塁の菜の花。

喰違見附から見る真田濠跡の上智大学グラウンド

向かって左手に真田濠

ホテルニューオータニの近江彦根藩井伊家屋敷跡の碑

井伊家屋敷跡の碑

近江彦根藩井伊家屋敷跡の案内板

井伊家屋敷跡の案内板。

井伊家屋敷跡の碑のそばで咲く桜

井伊家屋敷跡の碑のそばで咲くさくら達

喰違見附は門がないですが、クランクなどの存在感はありますね。

喰違見附跡へのアクセス

  • 住所の目安:東京都千代田区紀尾井町
  • 最寄り駅:JR・東京メトロ「四ツ谷」駅、東京メトロ「赤坂見附」駅
  • 見られるもの:くい違いの土塁と坂
  • あわせて歩く:赤坂見附、四谷見附跡、清水谷公園(大久保利通哀悼碑)

喰違見附のよくある質問

喰違見附はどこにあった?

千代田区紀尾井町、上智大学のグラウンドとホテルニューオータニのあいだ。江戸の切絵図と現代の地図を並べると、門のあった場所がよくわかります。

喰違見附は今も残っている?

城門はもともと無く、土塁をくい違いに築いた見附。その地形がいまも残る。

喰違見附で起きた事件は?

明治7年(1874)、岩倉具視が士族に襲われる暗殺未遂事件(喰違の変)がこの坂で起きました。その4年後には、近くの紀尾井坂で大久保利通が暗殺されています。

真田濠(喰違見附〜四谷見附)へ

真田濠(喰違見附〜四谷見附)の写真

真田濠(喰違見附〜四谷見附)

真田濠(喰違見附〜四谷見附)の写真
真田濠(喰違見附〜四谷見附)《外濠をめぐる:第25回》

「外濠をめぐる」は江戸城外濠の15kmを「の」の字に沿って「日本橋川」の上流部から隅田川までを巡るご案内サイトです。全38箇所あります。 下記記事が「外濠をめぐる」のトップページで外濠の全38箇所の一 ...

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