東京と近郊の自然・花・公園・庭園・寺社仏閣・お屋敷・絶景・穴場スポットなどをご紹介します。歴史や地形などの視点も絡めています。

数寄屋橋門《外濠をめぐる:第14回》

数寄屋橋門跡
【数寄屋橋門跡】

「外濠をめぐる」は江戸城外濠の15kmを「の」の字に沿って「日本橋川」の上流部から隅田川までを巡るご案内サイトです。全38箇所あります。

下記記事が「外濠をめぐる」のトップページで外濠の全38箇所の一覧と外濠の概要についてご説明しています。

第14回は外濠の門である「数寄屋橋門跡」を巡ります。

外濠の範囲

赤い太線に沿った部分が外濠になります。「日本橋川」の上流部から「の」の字を描くように隅田川に繋がっているイメージです。

外濠の起点を便宜上「日本橋川」の上流部とさせて頂きました。

外濠の全体図

江戸城外濠

数寄屋橋門は赤ピン8の地点です。

江戸城内濠(内郭)と外濠(外郭)の全体説明や門の一覧・濠の一覧はこちらで説明しています。

江戸城内濠と外濠の全体像のご案内はこちら。

江戸城内濠と外濠の一覧

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数寄屋橋門の概要

数寄屋橋門は慶長7年(1602)に造られ、寛永6年(1629)仙台藩・伊達正宗が枡形を完成させました。この門の裏手には大岡越前が勤めていた南町奉行所がありました。

織田信長の弟の一人である織田有楽斎の数奇屋屋敷があったことからその名がついたようです。現在はその門や橋の痕跡はまったくなく、数寄屋橋の碑がある程度です。

数寄屋橋門の位置

数寄屋橋門 位置

数寄屋橋門の江戸期の「地図」と「写真」

参照地図データ:「大江戸今昔めぐり」より
 

江戸期の地図

参照地図データ:「大江戸今昔めぐり」より
 

江戸期・現代の地図。今の銀座に濠があったなんて知らない人は信じられないでしょうね。

出典:国立国会図書館・江戸見附写真帖

江戸期の数寄屋橋門の写真(江戸見附写真帖)

数寄屋橋門の地形

地形。江戸前島のちょっとした高台。

数寄屋橋門の3D衛星画像・数寄屋橋門が現代にあったら

中心の赤ピンアイコンの所が数寄屋橋門跡

数寄屋橋門の3D衛星画像

数寄屋橋門・現代イメージ。3D画像に枡形門を重ねてみる。現代にあったらこんな感じだったでしょう。(あくまで想像ですので細かい点はお許しください)

数寄屋橋門に門が残っていたら、銀座にもっと風格がでたのにな。

数寄屋橋門の見どころ

数寄屋橋門の見どころマップ

星ピン:数寄屋橋門跡(この辺りにあった。なにも残っていません)
赤ピン:数寄屋橋の碑

数寄屋橋門

数寄屋橋の交差点

数寄屋橋門

銀座の入り口

数寄屋橋門

 

数寄屋橋門

銀座INZの上に架かる首都高速。これが濠の跡。

数寄屋橋門

 

数寄屋橋門

 

数寄屋橋門

有楽町マリオン前のこの辺りに門があったと思われる。

数寄屋橋門

マリオン前にある有楽町案内板

数寄屋橋門

 

数寄屋橋門

 

数寄屋橋門

歴史と文化の散歩道案内板。少し見づらい。

数寄屋橋門

歴史と文化の散歩道案内板。少し見づらい。

数寄屋橋門

数寄屋橋公園

数寄屋橋門

数寄屋橋公園の一角に数寄屋橋の碑がある。

数寄屋橋門

数寄屋橋の碑

数寄屋橋門

 

数寄屋橋門

裏に説明

数寄屋橋門

数寄屋橋公園のあじさい

数寄屋橋門

 

数寄屋橋門

 

数寄屋橋もその門・石垣の痕跡を見つけることができません。繁華街銀座にあって数寄屋橋の碑だけがその歴史を語っています。

山下門へ向かいます。

埋立部③(数寄屋橋門〜山下門)

埋立部③(数寄屋橋門〜山下橋門)

埋立部③(数寄屋橋門〜山下門)《外濠をめぐる:第15回》

「外濠をめぐる」は江戸城外濠の15kmを「の」の字に沿って「日本橋川」の上流部から隅田川までを巡るご案内サイトです。全38箇所あります。 下記記事が「外濠をめぐる」のトップページで外濠の全38箇所の一 ...

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