東京と近郊の自然・花・公園・庭園・寺社仏閣・お屋敷・絶景・穴場スポットなどをご紹介します。歴史や地形などの視点も絡めています。

鍛冶橋門《外濠をめぐる:第12回》

鍛治橋門跡
【鍛治橋門跡】

「外濠をめぐる」は江戸城外濠の15kmを「の」の字に沿って「日本橋川」の上流部から隅田川までを巡るご案内サイトです。全38箇所あります。

下記記事が「外濠をめぐる」のトップページで外濠の全38箇所の一覧と外濠の概要についてご説明しています。

第12回は外濠の門である「鍛治橋門跡」を巡ります。

外濠の範囲

赤い太線に沿った部分が外濠になります。「日本橋川」の上流部から「の」の字を描くように隅田川に繋がっているイメージです。

外濠の起点を便宜上「日本橋川」の上流部とさせて頂きました。

外濠の全体図

江戸城外濠

鍛治橋門は赤ピン7の地点です。

江戸城内濠(内郭)と外濠(外郭)の全体説明や門の一覧・濠の一覧はこちらで説明しています。

江戸城内濠と外濠の全体像のご案内はこちら。

江戸城内濠と外濠の一覧

江戸城内濠と外濠は明治政府による都市化・関東大震災・太平洋戦争の空襲・戦災の瓦礫処理という様々な災難に見舞われて多くの門や濠を失いました。 江戸の街づくりは驚くほどの時間をかけて築いたものでした。東京 ...

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鍛治橋門の概要

鍛冶橋見附門は、寛永6年(1629)に陸奥または出羽の大名によって築かれました。鍛冶屋職人の住む鍛冶町があった事が名前の由来です。

明治6年(1873)に門は石垣を残して撤去され、明治9年(1876)に石垣を利用した橋が架橋されたが、戦後の瓦礫により外堀が埋め立てられて橋も石垣も消滅しました。現在、交差点名ぐらいにしかその痕跡を見つけることができません。

鍛治橋門の位置

鍛治橋門 位置

鍛治橋門の江戸期の「地図」と「写真」

参照地図データ:「大江戸今昔めぐり」より
 

江戸期の地図

参照地図データ:「大江戸今昔めぐり」より
 

江戸期・現代の地図

出典:国立国会図書館・江戸見附写真帖

江戸期の鍛治橋門の写真(江戸見附写真帖)。今はその痕跡が全くありませんが、立派な高麗門と渡櫓が見えますね。

鍛治橋門の地形

地形。江戸前島のちょっとした高台。

鍛治橋門の3D衛星画像・鍛治橋門が現代にあったら

中心の赤ピンアイコンの所が鍛治橋門跡

鍛治橋門の3D衛星画像

鍛治橋門・現代イメージ。3D画像に枡形門を重ねてみる。現代にあったらこんな感じだったでしょう。(あくまで想像ですので細かい点はお許しください)

鍛治橋門の見どころ

鍛治橋門の見どころマップ

星ピン:鍛治橋門跡(この辺りが門の中心だったと思われる)
赤ピン1:鍛治橋門 案内板

鍛治橋門

鍛治橋の交差点

鍛治橋門

 

鍛治橋門

JRの高架下あたり。

鍛治橋門

この辺に門があったと思われます。その痕跡は全くありません。

鍛治橋門

鍛治橋門跡 案内板

鍛治橋門

 

鍛治橋門

 

鍛治橋門

 

鍛治橋門

消防訓練?

鍛治橋門も呉服橋同様にその痕跡が見当たらず、消滅していますね。

数寄屋橋門に向かいます。

埋立部②(鍛冶橋門 〜 数寄屋橋門)

埋立部②(鍛冶橋門 〜 数寄屋橋門)

埋立部②(鍛冶橋門 〜 数寄屋橋門)《外濠をめぐる:第13回》

「外濠をめぐる」は江戸城外濠の15kmを「の」の字に沿って「日本橋川」の上流部から隅田川までを巡るご案内サイトです。全38箇所あります。 下記記事が「外濠をめぐる」のトップページで外濠の全38箇所の一 ...

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