本記事は江戸の街作り特集の第6回です。第1回からぜひご覧ください!
江戸の街作り(第1回):東京都心は湿地帯と谷だらけのしんどい場所
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第4次天下普請 時代背景
将軍:徳川家光 | 時代:1628年〜1635年頃(寛永5年〜12年) |
1623年、徳川秀忠は家光に将軍職を譲ります。 家康に倣い引退後も実権は手放さず二元政治を行いました。 1632年に秀忠が死去すると二元政治は解消され、将軍から公方として親政を始めました。 |
第4次天下普請
第4次天下普請で行った大きな事は下記の通りです。
- 大規模城門工事
- 築城の繰り返し
大規模城門工事
外濠、内濠に多くの城門(枡形門)と石垣が築かれました。
下記一覧です。名称クリックで現在の詳細記事にリンクします。
No | 名称 | サムネイル | 門の位置 | 現存状況 |
1 | 雉子橋門 | 外濠 | 一部の石垣が残存 | |
2 | 一ツ橋門 | 外濠 | 一部の石垣が残存 | |
3 | 神田橋門 | 外濠 | 一部の石垣が残存 | |
4 | 常盤橋門 | 外濠 | 一部の石垣が残存 | |
5 | 呉服橋門 | 外濠 | 消滅 | |
6 | 鍛冶橋門 | 外濠 | 消滅 | |
7 | 数寄屋橋門 | 外濠 | 消滅 | |
8 | 山下門 | 外濠 | 消滅 | |
9 | 幸橋門 | 外濠 | 消滅 | |
10 | 和田倉門 | 内濠 | 石垣のみ残存 | |
11 | 馬場先門 | 内濠 | 消滅 | |
12 | 日比谷門 | 内濠 | 一部の石垣が残存 | |
13 | 桜田門 | 内濠 | 全て残存 | |
14 | 田安門 | 内濠 | 全て残存 | |
15 | 清水門 | 内濠 | 全て残存 | |
16 | 竹橋門 | 内濠 | 一部の石垣が残存 | |
17 | 平川門 | 内濠 | 全て残存 | |
18 | 西の丸大手門 | 内濠 | 全て残存 | |
19 | 桔梗門 (内桜田門) | 内濠 | 全て残存 |
築城の繰り返し
赤枠で囲った本丸城郭工事、黄色枠で囲った二の丸の城郭工事が行われました。
この石垣工事は2度、3度にわたる工事になっています。
このように城郭工事は何度も同じ場所を補修する形で繰り返されました。
まとめ
第4次天下普請のまとめです。
- 大規模城門工事
- 築城の繰り返し
ポイント1
●大規模城門工事
・外濠、内濠に多くの城門(枡形門)と石垣が築かれて低地側の防御力を高めた。
ポイント2
●築城の繰り返し
・築城を繰り返し本丸の防御力を高めた。
次回は第5次天下普請になります。
江戸の街作り(第7回):第5次天下普請 1636年頃(寛永13年)
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