東京と近郊の自然・花・公園・庭園・寺社仏閣・お屋敷・絶景・穴場スポットなどをご紹介します。歴史や地形などの視点も絡めています。

江戸の街作り(第6回):第4次天下普請 1628年〜1635年頃(寛永5年〜12年)

第4次天下普請後の1628年〜1635年頃の江戸地形図。城門と石垣が整備された江戸城、内濠・外濠、周辺市街地を示す

第4次天下普請では内濠・外濠に多くの城門と石垣が築かれ、本丸と二の丸の改修によって江戸城の防御力が高められました。


第6回のポイント

・第4次天下普請(1628〜1635年・寛永5〜12年)、3代将軍家光の時代の工事です。

・内濠・外濠に多くの城門(見附)と石垣が築かれ、江戸城の守りが固められました。

・大名屋敷や宿場町、寺社のにぎわいなど、発展していく江戸の街の様子も紹介します。

特集「江戸の街作り」全8回の第6回です。▶ 全回の目次へ

徳川直営の普請の頃の地形

TOPのイラストをもう少し、詳細な地形で表したものです。上記イラストではわかりにくいですが、門の位置を記しています。

江戸の街作り:第4次天下普請 1628年〜1635年頃(寛永5年〜12年)で造られた江戸の街の様子

第4次天下普請 1628年〜1635年頃(寛永5年〜12年)

第4次天下普請 時代背景

将軍:徳川家光時代:1628年〜1635年頃(寛永5年〜12年)
3代将軍・徳川家光1623年、徳川秀忠は家光に将軍職を譲ります。

家康に倣い引退後も実権は手放さず二元政治を行いました。

1632年に秀忠が死去すると二元政治は解消され、将軍から公方として親政を始めました。

第4次天下普請

第4次天下普請で行った大きな事は下記の通りです。

  • 大規模城門工事
  • 築城の繰り返し
  • 街の発展

 

大規模城門工事

第4次天下普請で築かれた城門(枡形門)の位置を示した地図。内濠・外濠に沿った城門を緑の枠で示す

外濠、内濠に多くの城門(枡形門)と石垣が築かれました。

枡形門の再現イメージ。石垣と櫓門に囲まれた四角い広場に橋が架かる

石材を舟で運び、枡形門を築く工事のイメージ

下記城門一覧です。現代でも各門の痕跡を見ることができます。名称クリックで現在の詳細記事にリンクします。

No名称サムネイル門の位置現存状況
1雉子橋門雉子橋門(江戸城外濠の城門)の現在の様子外濠一部の石垣が残存
2一ツ橋門一ツ橋門(江戸城外濠の城門)の現在の様子外濠一部の石垣が残存
3神田橋門神田橋門(江戸城外濠の城門)の現在の様子神田橋門(江戸城外濠の城門)の現在の様子外濠一部の石垣が残存
4常盤橋門常盤橋門(江戸城外濠の城門)の現在の様子外濠一部の石垣が残存
5呉服橋門呉服橋門(江戸城外濠の城門)の現在の様子外濠消滅
6鍛冶橋門鍛冶橋門(江戸城外濠の城門)の現在の様子外濠消滅
7数寄屋橋門数寄屋橋門(江戸城外濠の城門)の現在の様子外濠消滅
8山下門山下門(江戸城外濠の城門)の現在の様子外濠消滅
9幸橋門幸橋門(江戸城外濠の城門)の現在の様子外濠消滅
10和田倉門和田倉門(江戸城内濠の城門)の現在の様子内濠石垣のみ残存
11馬場先門馬場先門(江戸城内濠の城門)の現在の様子内濠消滅
12日比谷門日比谷門(江戸城内濠の城門)の現在の様子内濠一部の石垣が残存
13桜田門桜田門(江戸城内濠の城門)の現在の様子内濠全て残存
14田安門田安門(江戸城内濠の城門)の現在の様子内濠全て残存
15清水門清水門(江戸城内濠の城門)の現在の様子内濠全て残存
16竹橋門竹橋門(江戸城内濠の城門)の現在の様子内濠一部の石垣が残存
17平川門平川門(江戸城内濠の城門)の現在の様子内濠全て残存
18西の丸大手門西の丸大手門(江戸城内濠の城門)の現在の様子内濠全て残存
19桔梗門

(内桜田門)

桔梗門(内桜田門)(江戸城内濠の城門)の現在の様子内濠全て残存

 

築城の繰り返し

本丸と二の丸の石垣工事が行われた江戸城の配置図

本丸城郭工事、二の丸の城郭工事が行われました。この石垣工事は2度、3度にわたる工事になっています。

このように城郭工事は何度も同じ場所を補修する形で繰り返されました。

濠と石垣に囲まれた江戸城と、周りに広がる城下町の鳥瞰イメージ

 

街の発展

大名屋敷

豪華な門を構えた大名屋敷と、行き交う人々のイメージ

幕府の体制が安定してくると、大名たちは将軍への忠誠や自藩の威信を示すため、日光東照宮並みに華麗で豪華絢爛な上屋敷を競って建築しました。

 

宿場町

江戸の出入口にあたる宿場町のにぎわいのイメージ

主要街道の整備とともに、江戸の出入口(玄関口)にあたる交通の要所には以下の「江戸四宿」が配置されました。

寺社の賑わい

浅草寺

隅田川沿いに立つ浅草寺と門前のにぎわいのイメージ

浅草寺は古くから隅田川沿いの地に立つ古刹で、太田道灌の時代にもその「巨殿宝坊」が海に映える象徴的な存在として知られていました。周辺は品川から続く「東武の一都会」として連なり、日々に市が立つなど多くの参詣者や庶民で賑わいました。

寛永寺

上野の山に創建された寛永寺と、桜に囲まれた不忍池のイメージ

寛永寺は寛永2年(1625年)に上野の山に東叡山として創建され、将軍家の菩提寺や江戸城の鬼門除けとして重んじられました。将軍家の参詣の場であったことに加え、上野の山一帯は江戸を代表する境内・名所として大いに賑わいました。

山王社

山王祭の行列のイメージ。濠沿いの道を山車と神輿が進む

山王社は江戸城の鎮守(裏鬼門)として祀られ、6月15日に行われる山王祭は幕府公認の「天下祭り」として催されました。将軍や御台所が城内で観覧する中、神輿や豪華な山車が城内に繰り出し、江戸市中をあげた大祭として盛大な賑わいを見せました。

 

まとめ

第4次天下普請のまとめです。

  • 大規模城門工事
  • 築城の繰り返し
  • 街の発展
第4次天下普請後の1628年〜1635年頃の江戸地形図。城門と石垣が整備された江戸城、内濠・外濠、周辺市街地を示す

第4次天下普請では内濠・外濠に多くの城門と石垣が築かれ、本丸と二の丸の改修によって江戸城の防御力が高められました。

ポイント1

●大規模城門工事

・外濠、内濠に多くの城門(枡形門)と石垣が築かれて低地側の防御力を高めた。

ポイント2

●築城の繰り返し

・築城を繰り返し本丸の防御力を高めた。

ポイント3

●街の発展

・大名屋敷や宿場町の発展。寺社の賑わいで江戸が発展していきます。

次回は第5次天下普請になります。

第5次天下普請後の1636年頃の江戸地形図。完成した江戸城外濠、拡大した城下町、江戸湊の埋立地を示す
江戸の街作り(第7回):第5次天下普請 1636年頃(寛永13年)

第5次天下普請(1636年頃・寛永13年)で溜池から神田川まで外濠がつながり、四谷・市ヶ谷・赤坂などの見附を備えた江戸城の総構えが完成しました。江戸湊の埋め立てと宅地化も含め、今に残る外濠の姿を地図で解説します。

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参考文献

本記事を作成するにあたり、参考とした書籍・地図です。

・「江戸と東京の川と水辺の事典」 鈴木理生 著

・「江戸・東京の地理と地名」 鈴木理生 著

・「江戸の町(上)」 内藤昌 著

・「水が教えてくれる東京の微地形の秘密」 内田宗治 著

・「川の地図事典」 菅原健二 著

・「知る・見る・歩く! 江戸城」 加藤理文 著

・「幻の江戸100年」 鈴木理生 著

・「都市計画家 徳川家康」 谷口榮 著

・「日本史の謎は地形で解ける」 竹村公太郎 著

・「江戸城と大奥」 小学館

・「幕末の大江戸図」 株式会社ジェオ