目次
- 国会議事堂の概要と歴史
- 国会議事堂の全体図(鳥瞰図)
- 国会議事堂の江戸時代の地図
- 国会議事堂の地形
- 国会議事堂の見どころ
- 国会議事堂の周辺情報
- 国会議事堂へのアクセス
国会議事堂の概要と歴史
国会議事堂は1936年(昭和11年)11月に帝国議会議事堂(ていこくぎかいぎじどう)として建設されました。
建物は左右対称形を成しており、正面に向かって左側に衆議院、右側に参議院(旧:貴族院)が配置され、当時は日本一の高さを誇り、永田町の高台に美しいみかげ石で装われた議事堂が「白亜の殿堂」と賞賛されました。同年12月24日に召集された第70回帝国議会から使用され、現在に至っています。
永田町・霞が関一帯に、議事堂始め諸官庁を集中させる壮大な計画である官庁集中計画で、ドイツより建築家ウィルヘルム・ベックマンとヘルマン・エンデを招聘しています。
官庁集中計画の名残りをとどめる遺構として法務省旧本館(赤れんが棟)があります。
本議事堂の設計デザインは、建築設計競技として一般公募されました。ただし、この建築設計競技の実施に至るまでには紆余曲折がありました。
・財政難から議事堂はひとまず木造の仮建築で間に合わせるが、2ヶ月後、第1回議会の閉会を待たずに炎上・焼失
・内務省に設置された議院建築調査会の廃止
・官庁建築の重鎮「妻木頼黄」と東京駅や日本銀行本店を設計した「辰野金吾」の対立
・桂太郎内閣の退陣や財政上の理由などにより頓挫
ようやく1918年(大正7年)、コンペを行ない、118通の応募の中から宮内省技手・渡邊福三の"ギリシア様式ルネサンス風"案が1席を射止める。
中央にそびえる塔屋のドームが印象的な姿であったが、実際には「臨時議院建築局」が大幅な修正を施した上で実施設計が進められたそうです。
大正12年に関東大震災で設計図・計算書・模型などが焼失するなどを乗り越え、完成にいたったのは1936年(昭和11年)のことでした。欧米先進諸国の議事堂建築に遜色のない重量感を備えた議事堂となりました。
国会議事堂の全体図(鳥瞰図)
3D衛星画像(クリックで拡大)
Googleマップ(3D回転)