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江戸の街作り(第5回):第3次天下普請 1620年頃(元和6年)

江戸の街作り(第5回):第3次天下普請 1620年頃(元和6年)の江戸の街の様子

第3次天下普請 1620年頃(元和6年)

本記事は江戸の街作り特集の第5回です。第1回からぜひご覧ください!

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第3次天下普請 時代背景

将軍:徳川秀忠時代:1620年頃(元和6年)
徳川家康は1616年に死去します。

翌年1617年には家康公の霊廟として日光東照宮が創建されました。

その後も吉原遊郭の開設許可をしたり、境の船問屋が菱垣廻船を始めたりと、すっかり戦国の乱世から秩序ある時代へと変革していったようです。

第3次天下普請で行ったこと。

第3次天下普請で行った大きな事は下記の通りです。

  • 大規模治水工事
  • 築城の繰り返し

 

大規模治水工事

平川、小石川の流路を変えるという大規模な治水工事を行いました。

平川放水路

平川放水路が造られた

平川は小石川と合流し、江戸前島周辺の海に注いでいました。

本郷台地の掘削は仙台の伊達家が工事したので仙台堀とも言われいています。

これを本郷台地を掘削して神田川放水路に接続し、隅田川に流れるように大幅な流路変更を行いました。

現在の飯田橋〜水道橋〜お茶の水〜万世橋周辺まで掘削し神田川放水路に接続しました。

本郷台地の掘削は仙台の伊達家が工事したので仙台堀とも言われいています。

現在のお茶の水は見事な渓谷感を感じ取ることができますが人口の風景なのです。

伊達政宗が担当し、非常に短期間の間に標高約20mの神田山を約1.4kmにわたって掘削しています。

相当大変な工事だったと思います。

お茶の水の渓谷風景

お茶の水の渓谷風景1

お茶の水の渓谷風景

お茶の水の渓谷風景2

 

平川の径

平川の旧流路は水道橋の西側の「三崎橋」付近から「九段堀留」まで600mにわたって埋め立てられました。(明治になって再度掘削されて接続されるようになる)

写真は「平川の径」の石碑。飯田橋の「東京仕事センター」のすぐ下にある。

飯田橋駅〜水道橋駅の間にある土塁。

仙台堀を掘削された土砂は堤防として飯田橋よりの総武線の線路敷に名残が残っている。写真は飯田橋駅〜水道橋駅の間にある土塁。

平川本流・谷端川・小石川・旧石神井川の四河川は神田川放水路によって江戸城とその周囲の市街地まで流れる道を絶たれました。 そして赤斜線で囲ったように中心部の洪水被害がなくなりました。

これにより平川本流・谷端川・小石川・旧石神井川の四河川はこの放水路によって江戸城とその周囲の市街地まで流れる道を絶たれました。

そして赤斜線で囲ったように中心部の洪水被害がなくなりました。

柳原土手

さらに放水路にそって柳原土手も造られました。

初期は堤防の役割が強かったようですが、徐々に堤防としての役割より、荷揚げ地、河岸としての機能が優先されていったようです。

柳原土手

明治に入り土手は崩されましたが、現在の地形をみても少し標高が高いのが読み取れます。

柳原土手

現在の柳原通り。

 

日本堤

日本堤

入間川(隅田川)の洪水対策も行い、浅草の今戸橋付近から三ノ輪付近まで堤防を築きました。

入間川の自然堤防の背後の広大な後背湿地(赤斜線の部分)は度重なる洪水によってなかなか陸化せず以前は千束池がありました。

浅草寺はこの地で1000年の歴史を持っています。ということはこの一帯で最も安全な場所という証拠です。

幕府は堤の建設を全国の諸藩に命じ、高さ3m・堤の道幅8mという大きな堤が80余州の大名たちによって60日余りで完成しました。

浅草寺の小丘から堤防を北西に延ばし、その堤防を今の三ノ輪から日暮里の高台にぶつける。

この堤防で洪水を東へ誘導して隅田川の左岸で溢れさせ、隅田川の西の右岸に展開する江戸市街を守りました。

日本中の大名たちがこの堤の建設に参加したので、この堤は「日本堤」と呼ばれるようになりました。

後に吉原ができて「吉原土手」とも呼ばれることになります。

日本堤

現在の地形でも若干標高が高いことが読み取れます。

江戸城工事

江戸城工事

江戸城の工事も引き続いて行われた。赤線の部分、本丸、北の丸、三の丸の石垣を築きました。

本丸の石垣の高さを増したり、天守台の石垣工事も始まっています。

黄色部分、本丸・西の丸全体の工事も行われました。

まとめ

第3次天下普請のまとめです。

  • 大規模治水工事
  • 築城の繰り返し

ポイント1

●大規模治水工事

・平川放水路、日本堤を造り、洪水被害を大幅に削減。

ポイント2

●築城の繰り返し

・引き続きの江戸城築城工事が進められ更なる防御力を得た。

 

次回は第4次天下普請になります。

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