向島百花園の概要と歴史
向島百花園は都立庭園で、江戸時代に発祥をもつ花園です。
百花園は当時の一流文化人達の手で造られた、庶民的で、文人趣味豊かな庭として、小石川後楽園や六義園などの大名庭園とは異なった美しさをもっています。
江戸時代文化2年(1805)頃、仙台出身の骨董商、佐原鞠塢(さはらきくう)が多賀氏の元屋敷跡である向島の地3000坪を購入し、花の咲く草花鑑賞を中心とした「民営の花園」を造り開園しました。
当時鞠塢と親交の深かった一流の文人墨客の協力を得、梅を多く植えたことから、「新梅屋敷」として創設したのが始まりとされています。
往時は、江戸中に百花園の名が知れ渡り、多くの庶民の行楽地として賑わったそうです。なかでも、弘化2年(1845)には、12代将軍家慶の梅見の御成りがあり、明治になると皇室関係をはじめ、多くの著名人が来遊した記録が残っています。
けっして広くはない園内ですが、庶民的で風情ある庭園を満喫できます。秋の萩が有名です。残念ながらご案内は春ですが色とりどりの花に出会えました。
向島百花園の全体図(鳥瞰図)
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向島百花園の江戸時代の地図