小田原城は、神奈川県小田原市にある戦国時代から江戸時代にかけての日本の城です。
戦国時代の武将、北条氏の本拠地としても有名で、国指定の史跡にも認定されています。
最盛期には、外郭が小田原の町全体である約9kmにも及ぶほど、広大な敷地がありました。
2020年時点、一度は取り壊された建物の復元が進められ、敷地内にある歴史的な名所を巡ることができます。
城下には緑豊かな小田原城址公園が広がり、城や歴史だけでなく、家族で遊べる場所もある人気の観光名所です。
目次
- 小田原城の全体図(鳥瞰図)
- 小田原城の歴史
- 小田原城の地形
- 小田原城の見どころ
- 小田原城の周辺情報
- 小田原城へのアクセス
小田原城の全体図(鳥瞰図)
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小田原城の歴史
小田原城が初めて築かれたのは、室町時代に西相模一帯を支配していた大森氏が小田原地方に進出した15世紀中ごろのことと考えられています。
1500年ごろに伊勢宗瑞(後の北条早雲)が小田原に進出し以後、北条氏が5代約100年にわたって関東での勢力を拡大していきました
北条氏の居城となってから、次第に拡張整備され、豊臣秀吉の来攻に備えて城下を囲む総構を完成させると城の規模は最大に達しました。
しかし、天正18年(1590)、北条氏と真田氏(上杉氏)の間での領土紛争に関し、大名間の私闘を禁じた法令を破ったとして
小田原征伐が始まりました。この時、誰も責任を持って決断しようとせず、いつまでも結論が出ない会議や話し合いのたとえとして「小田原評定」という言葉も生まれました。
決断できなかった北条氏は滅亡し、戦国時代が終焉を迎えました。
江戸時代を迎えると小田原城は徳川家康の支配下となり、その家臣大久保氏を城主として迎え、城の規模は三の丸以内に縮小され、幕藩体制を支える譜代大名の居城として、東海道で箱根の関所を控えた関東地方の防御の要として、幕末まで重要な役割を担ってきました。
小田原城は明治3年に廃城となり、城内の多くの建物は解体されました。残っていた石垣も大正12年(1923)の関東大震災によりほぼ全壊してしまいました。
現在の小田原城跡は、本丸を中心に「城址公園」として整備され、復興、復元をおこなったものです。