「外濠をめぐる」は江戸城外濠の15kmを「の」の字に沿って「日本橋川」の上流部から隅田川までを巡るご案内サイトです。全38箇所あります。
下記記事が「外濠をめぐる」のトップページで外濠の全38箇所の一覧と外濠の概要についてご説明しています。
外濠の38箇所一覧はこちら 江戸城の外濠をめぐる 江戸城外濠は幕府が諸藩の大名に築城に伴う工事をさせる「天下普請」によって築かれました。江戸の防御のために惣構えを築いたのです。 外濠は円環ではなくひらがなの「の」の字 ... 続きを見る江戸城の外濠をめぐる
第32回は外濠の門である「小石川見附」を巡ります。
赤い太線に沿った部分が外濠になります。「日本橋川」の上流部から「の」の字を描くように隅田川に繋がっているイメージです。
外濠の起点を便宜上「日本橋川」の上流部とさせて頂きました。
外濠の全体図
小石川見附は赤ピン17の地点です。
江戸城内濠(内郭)と外濠(外郭)の全体説明や門の一覧・濠の一覧はこちらで説明しています。
江戸城内濠と外濠の全体像のご案内はこちら。
江戸城内濠と外濠の一覧
江戸城内濠と外濠は明治政府による都市化・関東大震災・太平洋戦争の空襲・戦災の瓦礫処理という様々な災難に見舞われて多くの門や濠を失いました。 江戸の街づくりは驚くほどの時間をかけて築いたものでした。東京 ...
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小石川見附の概要
小石川見附は寛永13年(1636)に、備前岡山藩主池田光政が築きました。すぐそばに水戸徳川家の屋敷(今の小石川後楽園)があったことから「水戸様御門」と呼ばれていたそうです。
寛政4年(1792)に焼失した後、再建されていません。明治6年(1873)には、石垣も撤去され、解体後の石垣は常盤橋門の再建に利用されました。
この小石川見附跡(三崎橋)から、日本橋川が神田川から分流しています。少し日本橋川を下るとこの特集「外濠をめぐる」の第1回の濠留の場所です。
本来の神田川は今の日本橋川(平川)となっていて日比谷入江のそそいでいましたが、元和6年(1620)に江戸城下の中心部を洪水から守るため、本来の神田川の流路を東に曲げて、駿河台を掘りぬき、現在の「神田川」を切り開きました。
この分流地点から濠留までは江戸時代は埋め立てられていましたが、明治36年(1903)に開削されて再び神田川と合流しました。
小石川見附の位置
小石川見附の江戸期の「地図」と「写真」
水戸藩の屋敷がありました。今の小石川後楽園ですね。また日本橋川はありません。
江戸期の小石川見附の写真(江戸見附写真帖)
小石川見附の地形
日本橋川が神田川から分流しています。
小石川見附の3D衛星画像・小石川見附が現代にあったら
中心の赤ピンアイコンの所が小石川見附跡
小石川見附跡付近の3D画像
小石川見附・現代イメージ。3D画像に枡形門を重ねてみる。現代にあったらこんな感じだったでしょう。(あくまで想像ですので細かい点はお許しください)
小石川見附の見どころ
小石川見附の見どころマップ
星ピン:小石川見附跡(案内板)
赤ピン1:小石川橋
小石川橋
小石川橋
小石川橋から飯田橋方面。
首都高速が覆っている。高速はこの地点で神田川から日本橋川を覆うことになる。
水道橋方面
神田川と日本橋川の分流地点
日本橋川
小石川門の跡はこの辺
案内板
日本橋川にかかる三崎橋
JR高架下
小石川見附に門跡などの痕跡は全くありませんね。
神田川1(小石川見附〜筋違見附)へ
神田川①(小石川見附〜筋違見附)《外濠をめぐる:第33回》
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