北桔橋門(きたはねばしもん)は慶長19年(1614)に築かれました。橋は有事に備えて橋が跳ね上がる仕組みになっており、往来を遮断できるようになっていました。
かつては枡形門でしたが、現在は枡形石垣と渡櫓門は撤去されて高麗門だけが残っています。橋部分は土橋がほとんどなので5~6mだけです。
防御力を高めるため濠を深くし、石垣を堅固にし、石垣の高さは20メートル近くにもなっています。深い濠に囲まれた断崖絶壁の雰囲気を醸し出します。
北桔橋門の東には平川濠、南西には乾濠が隣接しています。
北桔橋門の位置
江戸城内濠(内郭)と外濠(外郭)の全体図
江戸城内濠(内郭)と外濠(外郭)の全体説明や門の一覧・濠の一覧はこちらで説明しています。
江戸城内濠と外濠の全体像のご案内はこちら。
江戸城内濠と外濠の一覧
江戸城内濠と外濠は明治政府による都市化・関東大震災・太平洋戦争の空襲・戦災の瓦礫処理という様々な災難に見舞われて多くの門や濠を失いました。 江戸の街づくりは驚くほどの時間をかけて築いたものでした。東京 ...
続きを見る
内濠案内図
北桔橋門の江戸期の「地図」と「写真」
北桔橋門の江戸期の地図。
北桔橋門の江戸期・現代の地図
江戸期の北桔橋門の写真(江戸見附写真帖)
北桔橋門の地形
北桔橋門の地形
北桔橋門の地形
北桔橋門の3D衛星画像
北桔橋門跡付近の3D画像
北桔橋門跡付近の3D画像。橋の部分が5、6mということがわかる。
北桔橋門の見どころ
北桔橋門の地図
北桔橋門
あじさいと一緒に
江戸の頃は跳ね橋になっており、いざという時に敵の攻撃を防ぐ役目がありました。
残っているのはこの高麗門のみ
高い石垣
天守台石垣が少し覗ける
正面から(閉門時)
石垣に迫力がある。
北桔橋門案内板
平川濠側から
橋は短い。
開門時の北桔橋門
北桔橋
北桔橋門から乾濠
北桔橋門から乾濠
きちんと算木積み
こんなところからスカイツリーが。
北桔橋門から天守台の石垣が目の前。
北桔橋門から平川濠
北桔橋門から平川濠
高麗門内側から
高麗門上部
乾濠の記事はこちら
江戸城内濠と外濠の一覧
江戸城内濠と外濠は明治政府による都市化・関東大震災・太平洋戦争の空襲・戦災の瓦礫処理という様々な災難に見舞われて多くの門や濠を失いました。 江戸の街づくりは驚くほどの時間をかけて築いたものでした。東京 ...
続きを見る
平川濠の記事はこちら
《江戸城内濠》乾濠
乾濠は北に北桔橋門、西に乾門、南に西桔橋門に挟まれている江戸城の内濠です。乾門、西桔橋門は江戸城三十六見附に含まれていません。 乾濠の位置 江戸城内濠(内郭)と外濠(外郭)の全体図 江戸城内濠(内郭) ...
続きを見る
内濠・外濠の門と濠の一覧はこちら
江戸城内濠と外濠の一覧
江戸城内濠と外濠は明治政府による都市化・関東大震災・太平洋戦争の空襲・戦災の瓦礫処理という様々な災難に見舞われて多くの門や濠を失いました。 江戸の街づくりは驚くほどの時間をかけて築いたものでした。東京 ...
続きを見る
江戸城の外濠を「の」の字に沿って巡ってみませんか。全38回の特集記事 江戸城の外濠をめぐる 江戸城外濠は幕府が諸藩の大名に築城に伴う工事をさせる「天下普請」によって築かれました。江戸の防御のために惣構えを築いたのです。 外濠は円環ではなくひらがなの「の」の字 ... 続きを見る江戸城の外濠をめぐる