目次
- 高幡不動尊金剛寺の概要と歴史
- 高幡不動尊金剛寺の全体図(鳥瞰図)
- 高幡不動尊金剛寺の地形
- 高幡不動尊金剛寺の見どころ
- 高幡不動尊金剛寺の御朱印
- 高幡不動尊金剛寺へのアクセス
高幡不動尊金剛寺の歴史
「高幡不動尊金剛寺」は、成田山新勝寺などとともに、関東三大不動のひとつとされる、真言宗智山派別格本山の寺院です。本尊は不動明王。
境内には室町時代に作られた「仁王門」や前述の「不動堂」、総重量1100Kgを超える巨像で日本一といわれる「丈六不動三尊」など貴重な文化財・寺宝が約20,000点あり。
また幕末に活躍した新選組副長土方歳三(日野市出身)の菩提寺としても有名で、今も多くのファンが訪れている。
境内約4,000坪、隣接する山林を合わせると3万坪の広大な敷地では、初夏のあじさいまつり、秋の紅葉など四季折々の花や多くの句碑などを楽しめます。
平安時代初期に、慈覚大師(円仁)というお坊さんが高幡山を東関鎮護の霊場と定め、山中に「不動堂」を建立、不動明王をご安置したのが始まりとされています。
建武2年(1335年)の大風によって山中の堂宇が倒壊し、時の住僧儀海上人が七年の歳月をかけて康永元年(1342年)麓に移建したのが現在の不動堂で 東京都最古の文化財建造物です。
室町時代には「汗かき不動」と呼ばれ、多くの戦国武将に崇拝されていました。これは鎌倉時代後期に発生した大風で不動明王像が破損した際、その修復のために全身に塗られた漆が光を浴びると反射して「汗」をかいているように見えたことに由来しています。
このことが戦勝祈願でお参りに来た武将の間で「不動明王が全身に汗をかいて、お願いを聞いて下さる」という話として伝わったそうです。
江戸時代には関東十一檀林に数えられ「火防 (ひぶせ)の不動尊」として広く庶民の信仰をあつめたが、安永 八年(一七七九年)の業火により大日堂及び奥院の諸伽藍 を全焼しました
その後徐々に復興に向い、殊に近年の五重塔 建立・宝輪閣の建設・奥殿の完成等により堂塔伽藍が整い往時を凌ぐ程の寺観を呈するようになりました。
高幡不動尊金剛寺の全体図(鳥瞰図)
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