戸定が丘歴史公園は水戸藩最後の藩主である、徳川昭武の別邸と庭園をもとに作られた公園です。徳川昭武は徳川最後の将軍・徳川慶喜の弟です。
公園内には徳川昭武と彼の兄徳川慶喜の資料を展示する戸定歴史館、徳川昭武が住んでいた戸定邸(国指定重要文化財)と庭園(国指定名勝)があります。
戸定(とじょう)とは古く中世の城郭に起源を持つ地名です。平成17年に「関東の富士見百景」、平成19年に「日本の歴史公園100選」に選ばれました。空気の澄んだ日に富士山が見えるそうです。
目次
- 戸定が丘歴史公園の全体図(鳥瞰図)
- 戸定が丘歴史公園の歴史
- 戸定が丘歴史公園の地形
- 戸定が丘歴史公園の見どころ
- 戸定が丘歴史公園へのアクセス
戸定が丘歴史公園の全体図(鳥瞰図)
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戸定が丘歴史公園の歴史
戸定邸は江戸幕府15代将軍「徳川慶喜」の弟でその後継の最有力候補だったその昭武と家族や使用人達が住んでいました。明治時代の徳川家の住まいがほぼ完全に残る唯一の建物です。
旧大名家の生活空間を伝える歴史的価値が、高く評価されています。徳川昭武(あきたけ)は、1853年(嘉永6年)生まれで1910年(明治43年)まで生きた人で、戊辰戦争の頃はフランスに留学していました。
兄の慶喜はこの戸定邸をよく訪れたと言われていますが、徳川家が権力の座を離れたことに対し、兄弟でどんな話をしたんでしょうね。