中之門は寛永15年(1638)、原形となる門と石垣が造られました。その後、明暦の大火や元禄大地震などで被害を受けてなんどか修復されたようです。現在は石垣のみ現存します。
下乗門(大手三の門)を抜けると左手に百人番所、右手に中之門があります。この門の内側からは本丸の一角になり御三家も下乗門(大手三の門)は籠に乗ったまま通れたが、ここで籠から下りなければならなかった。
中之門の石垣は、一つひとつの石が巨大であり石の大きさは城内最大級、石材を隙間なく積む「切込みはぎ」という技法で積まれています。幕府は「見た目の美しさ」と「威圧感」の両方を大名たちに感じさせたのです。
中之門の前には「百人番所」があり与力(奉行の補佐役)20人、同心(与力の補佐役)100人が詰めて警備をしていました。
中之門の位置
江戸城内濠(内郭)と外濠(外郭)の全体図
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江戸城内濠と外濠の一覧
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内濠案内図
中之門の江戸期の「地図」と「写真」
江戸期の地図。枡形ではなく渡櫓門だけである。
江戸期・現代の地図
江戸期の中之門の写真(江戸見附写真帖)。本丸から中之門。
中之門の地形
中之門の地形
中之門の地形
中之門の3D衛星画像
中心の赤ピンアイコンの所が中之門
中之門付近の3D画像
中之門付近の3D画像
中之門の見どころ
中之門の地図
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中之門渡櫓石垣
中之門渡櫓石垣
中之門石碑
大きくて壮大感が伝わる。
石も色とりどり
おおきな石垣が横に続いている。
中之門の前には百人番所(最大の検問所)
美しい石垣
美しい石垣
美しい石垣
美しい石垣
美しい石垣
美しい石垣
美しい石垣
石垣の横に案内板がある。
解体のよって明らかになった事実
事前調査から修復に至るまでの経緯が記載されている。
瀬戸内産・花崗岩
瀬戸内産・花崗岩
伊豆半島産・安山岩
花崗岩・安山岩の組み合わせで独特の表情を造っているのですね。
この石垣の右上部、下記の江戸期の写真と同じ石垣が読み取れませんか。1段目左が黒っぽい、2段目左から3個目が黒い。わかりにくいですけど。
中之門を抜けたところに大番所(警備詰所)がある。大手門に入ってから大名達はまだまだ気が抜けませんね。中之門を抜けて最後の門である中雀門に向けて坂を登っていきます。
江戸東京博物館の江戸城模型です。中之門を抜けて中雀門へ。
中雀門へ
《江戸城内濠》中雀門
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