「外濠をめぐる」は江戸城外濠の15kmを「の」の字に沿って「日本橋川」の上流部から隅田川までを巡るご案内サイトです。全38箇所あります。
下記記事が「外濠をめぐる」のトップページで外濠の全38箇所の一覧と外濠の概要についてご説明しています。
外濠の38箇所一覧はこちら 江戸城の外濠をめぐる 江戸城外濠は幕府が諸藩の大名に築城に伴う工事をさせる「天下普請」によって築かれました。江戸の防御のために惣構えを築いたのです。 外濠は円環ではなくひらがなの「の」の字 ... 続きを見る江戸城の外濠をめぐる
第26回は外濠の門である「四谷見附跡」を巡ります。
赤い太線に沿った部分が外濠になります。「日本橋川」の上流部から「の」の字を描くように隅田川に繋がっているイメージです。
外濠の起点を便宜上「日本橋川」の上流部とさせて頂きました。
外濠の全体図
四谷見附は赤ピン14の地点です。
江戸城内濠(内郭)と外濠(外郭)の全体説明や門の一覧・濠の一覧はこちらで説明しています。
江戸城内濠と外濠の全体像のご案内はこちら。
江戸城内濠と外濠の一覧
江戸城内濠と外濠は明治政府による都市化・関東大震災・太平洋戦争の空襲・戦災の瓦礫処理という様々な災難に見舞われて多くの門や濠を失いました。 江戸の街づくりは驚くほどの時間をかけて築いたものでした。東京 ...
続きを見る
四谷見附の概要
四谷門は寛永13年(1636)、長州藩主・毛利秀就によって築かれました。
江戸五口の一つで半蔵門から四谷見附を経て甲州街道へ出る江戸城の西の玄関にもあたる要所でした。江戸城に危急がある時の退路でもありました。
四谷門は明治5年(1872)に撤去されました。現在は石垣の一部と土塁が残っています。
四谷見附の位置
四谷見附の江戸期の「地図」と「写真」
江戸期の地図
江戸期・現代の地図。甲州街道沿いの四谷見附橋は江戸の頃はなかった。現在の新四谷見附橋に門へ繋がる土塁があった。
江戸期の四谷見の写真(江戸見附写真帖)
四谷見附の地形
地形。高台にある。
四谷見附の3D衛星画像・四谷見附が現代にあったら
中心の赤ピンアイコンの所が四谷見附跡
四谷見附の3D衛星画像
四谷見附・現代イメージ。3D画像に枡形門を重ねてみる。現代にあったらこんな感じだったでしょう。(あくまで想像ですので細かい点はお許しください)
四谷見附の見どころ
四谷見附の見どころマップ
星ピン:四谷門跡 石垣
赤ピン1:江戸城外堀跡 案内板
赤ピン2:四谷門枡型石垣の石材案内板
赤ピン3:現存する四谷門の枡形石垣
赤ピン4:江戸城外堀史跡展示広場(JR四谷駅構内。改札の外にあります。)
四谷門石垣跡。
草木で覆われてしまっている。
櫓台石垣と思われるものが少し見える。
そばの階段を登ると土塁跡と思われる外濠公園に出られる。
外濠公園から石垣。
石垣の下に咲くあじさい。
江戸城外堀跡 案内板
江戸城外堀跡 案内板付近から外濠の土塁と思われる高台。
濠の下
濠の中はJR四ツ谷駅。
四谷門枡型石垣の石材の案内板
XXXXXXXXXXx
現存する四谷門の枡形石垣の案内板
四谷門の枡形石垣。こんな場所にって所にある。
よく残してくれました。
江戸城外堀史跡展示広場
JR四谷駅・麹町口をでてすぐ。改札の外にあります。
真田濠に水があった頃。
甲武鉄道の説明。
四谷見附は石垣の一部が大事に残されている気がします。石垣の草木をきれいにしてくれるといいですね。
市ヶ谷見附に向かいます。
市ヶ谷濠(四谷見附〜市谷見附))へ
市ヶ谷濠(四谷見附〜市谷見附)《外濠をめぐる:第27回》
「外濠をめぐる」は江戸城外濠の15kmを「の」の字に沿って「日本橋川」の上流部から隅田川までを巡るご案内サイトです。全38箇所あります。 下記記事が「外濠をめぐる」のトップページで外濠の全38箇所の一 ...
続きを見る