飛鳥山公園の概要と歴史
飛鳥山公園は東京都京都北区・武蔵野台地の末端にあり、桜の名所として有名です。名所に仕立て上げたのは、八代将軍徳川吉宗でした。
約300年前、吉宗が享保の改革の施策のひとつとして、江戸っ子たちの行楽の地とするため、飛鳥山を桜の名所にしました。
公園内の旧渋沢庭園には、国の重要文化財に指定された大正期の2つの建物「晩香廬(ばんこうろ)」と「青淵文庫(せいえんぶんこ)」が、当時のままの姿で残っています。
江戸の新しいお花見の名所として誕生した飛鳥山は、当時、桜の名所地では禁止されていた「酒宴」「仮装」が容認されていたため、江戸っ子たちは様々な趣向を凝らして楽しみました。
飛鳥山は、明治6年、太政官布達によって、上野・芝・浅草・深川とともに日本最初の公園に指定され、平成の現在も「憩いと出会い」の場として親しまれています。
また、近代日本経済の基礎を作った渋沢栄一は、設立に尽力した王子製紙(設立当時は抄紙会社)の工場を眼下に見守ることができる飛鳥山に、邸を構えました。
1879年(明治12)からは内外の賓客を招く公の場として、その後1901年(明治34)から亡くなる31年(昭和6)までは家族と過ごす日常の生活の場としても使用し、「曖依村荘(あいいそんそう)」とも呼ばれ、栄一もこの地をこよなく愛していました。
NHK大河ドラマでもちょくちょくでてきましたね。
飛鳥山の全体図(鳥瞰図)
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