下乗門(大手三の門)は寛永13年(1635)伊勢津藩主の藤堂高次によって築かれました。江戸城登城の正面玄関である大手門を過ぎ下乗橋を渡ると大手三の門がありました。下乗橋が架かっていた濠は大正時代に埋め立てられたようです。
下乗という名は大手門から駕籠で入城した大名が下乗橋で降りることでつけられました。駕籠に乗って入城できるのは、徳川御三家(尾張藩、紀州藩、水戸藩)の藩主だけでした。枡形内には「同心番所」と呼ばれる警備用の建物があります。
現在の下乗門(大手三の門)は石垣だけが現存しています。
下乗門(大手三の門)の位置
江戸城内濠(内郭)と外濠(外郭)の全体図
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内濠案内図
下乗門(大手三の門)の江戸期の「地図」と「写真」
江戸期の地図。門の前に濠があったことがわかる。門も枡形であったようだ。
江戸期・現代の地図
江戸期の下乗門(大手三の門)の写真(江戸見附写真帖)。手前に下乗橋が架かっている。高麗門と立派な渡櫓門がある。
下乗門(大手三の門)の地形
下乗門(大手三の門)の地形
下乗門(大手三の門)の地形。本丸との高低差がしっかりしている。
下乗門(大手三の門)の3D衛星画像
中心の赤ピンアイコンの所が下乗門(大手三の門)跡
下乗門(大手三の門)跡付近の3D画像
下乗門(大手三の門)跡付近の3D画像。手前に高麗門の石垣、左手に渡櫓門の石垣が残っていることがわかる。
下乗門(大手三の門)の見どころ
下乗門(大手三の門の地図
高麗門石垣
先ほどの江戸期の写真を見てみると、高麗門右下の石垣がそっくり同じ形をしているように見える。
渡櫓の石垣
高麗門跡をくぐってすぐに同心番所がある
江戸東京博物館の江戸城模型です。上の写真は下乗門の橋を渡って高麗門に入るところですね。
同心番所(検問所)
同心番所の裏手にも石垣が続いている。厳重ですね。
枡形の出口、渡櫓門の石垣。
渡櫓門の石垣
渡櫓門の石垣
奥に中之門の石垣も見える。この距離でこの壮大な門が続いていたんですね。大名たちも徳川の威厳を見せつけられた感覚になるでしょうね。
渡櫓をでると百人番所がある。
百人番所(江戸城最大の検問所)
渡櫓を出たところから。
きれいなで大きな石で組み立てられている。
算木積みの石も巨大。
巨大な花崗岩。幕府の威厳を見せつけている。
下乗門(大手三の門)を抜けると右手に中之門がある。登城する大名達も息つく暇がないですね。
江戸東京博物館の江戸城模型です。下乗門の渡櫓門を抜けたところです。
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《江戸城内濠》中之門
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