「外濠をめぐる」は江戸城外濠の15kmを「の」の字に沿って「日本橋川」の上流部から隅田川までを巡るご案内サイトです。全38箇所あります。
下記記事が「外濠をめぐる」のトップページで外濠の全38箇所の一覧と外濠の概要についてご説明しています。
外濠の38箇所一覧はこちら
第10回は外濠の門である「呉服橋門跡」を巡ります。
赤い太線に沿った部分が外濠になります。「日本橋川」の上流部から「の」の字を描くように隅田川に繋がっているイメージです。
外濠の起点を便宜上「日本橋川」の上流部とさせて頂きました。
呉服橋門跡はどこ?(3行でわかる呉服橋門)
- 場所:千代田区丸の内一丁目と中央区八重洲一丁目の境、東京駅八重洲口の北にある外堀通りの交差点。
- いま:門は明治6年(1873)に壊され、橋も昭和26年(1951)の濠の埋め立てで消えた。名前は「呉服橋」交差点に残るだけ。
- 歴史:寛永6年(1629)に陸奥・出羽の大名が築いた枡形門。呉服商が多く住んでいたことが名の由来とされる。
動画で見る呉服橋門(1分36秒):いまの地図と江戸切絵図 → 上空・地上から見た門跡 → 明治4年の古写真 → AIでよみがえる呉服橋門 → もし今もあったら
▶ 外濠18門を一気に見る総集編(27分)はこちら。※AIによる復元映像は、古写真や切絵図をもとにした想像図です。
▶ 江戸城の36の門をまとめて見る:江戸城三十六見附 一覧(場所・いまの姿・AI復元)
外濠の全体図
呉服橋門は赤ピン6の地点です。
江戸城内濠(内郭)と外濠(外郭)の全体説明や門の一覧・濠の一覧はこちらで説明しています。
江戸城内濠と外濠の全体像のご案内はこちら。
呉服橋門の概要
呉服橋門は、寛永6年(1629)陸奥・出羽の大名によって築かれました。呉服商が多く住んでいた事からその名が付いたようです。
呉服橋門の北側には家康入府後すぐに築いた「道三濠」という濠がありました。「道三濠」は和田倉濠につながっていて、塩などの物資運搬の重要な水路でした。
明治6年に桝形や高麗門が壊され、橋も昭和26年の埋め立てにより姿を消しました。現在はその痕跡らしきものは全くみあたりません。交差点名にその名が残っている程度でしょうか。
呉服橋門の位置
呉服橋門の江戸期の「地図」と「写真」
江戸期の地図
江戸期の呉服橋門の写真(江戸見附写真帖)
現代の地図と江戸切絵図を並べると、呉服橋門のあった場所がよくわかります。
明治4年(1871)に撮られた古写真をもとに、AIで江戸時代の姿をよみがえらせました(想像図)。
呉服橋門の地形
地形。江戸前島の付け根あたりでしょうか。
呉服橋門の3D衛星画像・呉服橋門が現代にあったら
中心の赤ピンアイコンの所が呉服橋門跡
呉服橋門の3D衛星画像
もし呉服橋門が今もあったら(想像図)。現代の街を白黒に沈めて、色付きの呉服橋門を浮かび上がらせています。(あくまで想像ですので細かい点はお許しください)
永代通りのど真ん中。
呉服橋門の見どころ
呉服橋門の見どころマップ
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星ピン:呉服橋門跡(この辺りが門の中心であったと思われる)
赤ピン1:呉服橋門跡 案内板
大きい常盤橋タワーが建っている。
常盤橋タワー前の空間は気持ちがいい。
外堀通り沿いの街並み。
TOKYO TORCHという街づくりプロジェクトが始まっている。
呉服橋門跡の案内板
呉服橋門はその痕跡を示す遺構が全くありませんね。消滅という言葉がふさわしいですね。
呉服橋門跡へのアクセス
- 住所の目安:東京都千代田区丸の内一丁目/中央区八重洲一丁目付近(呉服橋交差点)
- 最寄り駅:JR「東京」駅 八重洲北口、東京メトロ「大手町」駅
- 見られるもの:呉服橋交差点(遺構は残っていない)
- あわせて歩く:常盤橋門跡、鍛冶橋門跡、日本橋
呉服橋門のよくある質問
呉服橋門はどこにあった?
千代田区丸の内一丁目と中央区八重洲一丁目の境、東京駅八重洲口の北にある外堀通りの交差点。江戸の切絵図と現代の地図を並べると、門のあった場所がよくわかります。
呉服橋門は今も残っている?
門は明治6年(1873)に壊され、橋も昭和26年(1951)の濠の埋め立てで消えた。名前は「呉服橋」交差点に残るだけ。
呉服橋門の名前の由来は?
門の外側に呉服商が多く住んでいたことから「呉服橋」と呼ばれたといわれます。門の北には、家康が江戸に入ってすぐ掘らせた道三濠がありました。
鍛冶橋門へ向かいます。
埋立部①(呉服橋門 〜 鍛冶橋門)へ
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