「外濠をめぐる」は江戸城外濠の15kmを「の」の字に沿って「日本橋川」の上流部から隅田川までを巡るご案内サイトです。全38箇所あります。
下記記事が「外濠をめぐる」のトップページで外濠の全38箇所の一覧と外濠の概要についてご説明しています。
外濠の38箇所一覧はこちら 江戸城の外濠をめぐる 江戸城外濠は幕府が諸藩の大名に築城に伴う工事をさせる「天下普請」によって築かれました。江戸の防御のために惣構えを築いたのです。 外濠は円環ではなくひらがなの「の」の字 ... 続きを見る江戸城の外濠をめぐる
第10回は外濠の門である「呉服橋門跡」を巡ります。
赤い太線に沿った部分が外濠になります。「日本橋川」の上流部から「の」の字を描くように隅田川に繋がっているイメージです。
外濠の起点を便宜上「日本橋川」の上流部とさせて頂きました。
外濠の全体図
呉服橋門は赤ピン6の地点です。
江戸城内濠(内郭)と外濠(外郭)の全体説明や門の一覧・濠の一覧はこちらで説明しています。
江戸城内濠と外濠の全体像のご案内はこちら。
江戸城内濠と外濠の一覧
江戸城内濠と外濠は明治政府による都市化・関東大震災・太平洋戦争の空襲・戦災の瓦礫処理という様々な災難に見舞われて多くの門や濠を失いました。 江戸の街づくりは驚くほどの時間をかけて築いたものでした。東京 ...
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呉服橋門の概要
呉服橋門は、寛永6年(1629)陸奥・出羽の大名によって築かれました。呉服商が多く住んでいた事からその名が付いたようです。
呉服橋門の北側には家康入府後すぐに築いた「道三濠」という濠がありました。「道三濠」は和田倉濠につながっていて、塩などの物資運搬の重要な水路でした。
明治6年に桝形や高麗門が壊され、橋も昭和26年の埋め立てにより姿を消しました。現在はその痕跡らしきものは全くみあたりません。交差点名にその名が残っている程度でしょうか。
呉服橋門の位置
呉服橋門の江戸期の「地図」と「写真」
江戸期の地図
江戸期の呉服橋門の写真(江戸見附写真帖)
呉服橋門の地形
地形。江戸前島の付け根あたりでしょうか。
呉服橋門の3D衛星画像・呉服橋門が現代にあったら
中心の赤ピンアイコンの所が呉服橋門跡
呉服橋門の3D衛星画像
呉服橋門・現代イメージ。3D画像に枡形門を重ねてみる。現代にあったらこんな感じだったでしょう。(あくまで想像ですので細かい点はお許しください)
永代通りのど真ん中。
呉服橋門の見どころ
呉服橋門の見どころマップ
星ピン:呉服橋門跡(この辺りが門の中心であったと思われる)
赤ピン1:呉服橋門跡 案内板
大きい常盤橋タワーが建っている。
常盤橋タワー前の空間は気持ちがいい。
TOKYO TORCHという街づくりプロジェクトが始まっている。
常盤橋門跡の案内板
常盤橋門はその痕跡をします遺構が全くありませんね。消滅という言葉がふさわしいですね。
鍛治橋門へ向かいます。
埋立部①(呉服橋門 〜 鍛冶橋門)へ
埋立部①(呉服橋門 〜 鍛冶橋門)《外濠をめぐる:第11回》
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